クラスにいるADHDの子/発達障害者支援法の早期成立を

(http://www.komei.or.jp/news/daily/2004/1104_01.html)
公明新聞の記事。google newsがないと辿り着かない記事だよなあ。こんなニュースソースだと。
で、公明党がやけに発達障害者支援法に積極的なんだなあ。どうやら。なんでだろ。
それはいいとして、

 学校や幼稚園、保育園には、長期慢性疾患で悩む子どももたくさんいる。もはや様々な困難を抱えた子がクラスにいるのが当たり前のことになった。障害のある子も、みんなと一緒に過ごせるような理解と支援が必要だ。

ちょっとまて。少なくとも発達障害者の中には「みんなと一緒に過ごす」事自体が大きなストレスになる人が結構いるぞ?障害のある子にとっていい支援を受けられるのが重要であって、何らかのイデオロギーのもとに「みんな一緒」を強制されるのは大変だぞ?

 知的な障害を伴わない発達障害は普通の子どもとの区別が難しい。そのために、問題行動が本人や親のしつけによるものと誤解されてしまい、いじめや引きこもりなど深刻な2次的障害を招きかねない問題点が指摘されている。

この2次障害の起こる原因をきちんと考えていかないと。単に誤解だけが原因ではなかろう。
例えば遠足や運動会などの学校行事なんかにしても、毎日同様のパターンの生活が繰り返されると安心し、イレギュラーなことには弱い発達障害児と、健常児では受け止め方が全く違う。物事を楽しいと思うかどうか、あるいは音、光、色に対する反応とか、普通の子の範囲を超えて「違っている」のだから、「みんなと一緒」に「みんなと同じ」ことをすることそのものが2次障害の原因になりうると言うことを考えていかないと……。みんなと一緒にいることをその子自身が望んでいるかといえば、そうでない場合も多いのだから。

 歴史上、偉大な仕事を成した人に「ADHD」の人がいるという。トーマス・エジソン坂本竜馬、最近では米国の俳優、トム・クルーズらがそうだという。周囲が理解し支えてあげることで、その人にしかない才能が開花する。今の社会に求められる視点だと思う。

でたよ……こういう発想が嫌いだ……。
親がこどもに対して「将来出世する可能性がないわけではない」と希望を持つぐらいならいいけど、発達障害児を理解して貰うためにこういう話を持ち出すのは嫌いだ。
こういう偉人を持ち出して価値を高めようとする発想って、裏を返すと犯罪を起こした少年1人をとらえてアスペルガーは犯罪者になると言ってるのと同じような気がするんだよな。

障害を個性ととらえる優しい眼差しと支援が必要だ。発達障害者支援法の早期成立が望まれる。

個性の範囲を超えてるから障害なんだよな。障害を個性と言ってしまうと、特に高機能で一見して障害がわからない人が抱えている困難が見えなくなってしまわないだろうか。普通の人が何気なくやってることを、実は血を吐く思いでやってたりすることに気付きにくくならないだろうか……。